2010年9月13日月曜日

第10話 GONG

こんにちは!監督の武井です。



お、9月13日ですね。

今日、21歳になりました。

メール、@takkee_ へのツイート、ブログへのコメント、ありがとうございました。
本当に嬉しかったです。



思い出してみると、20歳の誕生日は、タイの空港で簱智に適当な祝辞を述べられたわけですが、今年は重田と青山と共にシェムリアップで過ごしていました。

え?なに? 全然、同情とか求めてないよ?







さて、
21歳の誕生日。

ドキュメンタリー制作に関しても、自分自身に対しても”ゴング”に出来たらいいなーと思っています。






撮影をしていて、ふと思ったのですが。



「難しい話ってきりがない」と思うんです。


ドキュメンタリーに絡めて言えば、「編集」って作業は「研究」って作業と一緒にしてはいけないのかなと。






僕らは研究者としてカンボジアに、タサエンに乗り込んできたわけではありません。



じゃあ、何しに来たんだろう?

じゃあ、なんでドキュメンタリーを撮りたいと思ったんだっけ?





撮影を進めていくうちに、自分のなかで”タサエン”に1つの規則性とか枠組みたいなものを必死に取り繕っていたような気がします。実際ね、必死だったのです。 暑いしw


編集作業への焦りだったのかも。





でも、最初にやりたかったことはそういうことではなかったと気づけました。




ただ、自分の目で見て、自分の耳で聞いた事実が、それだけで新鮮で感動的で。
だからそれを伝えたい。多くの人に知ってほしい。



そう思ったのが、最初のきっかけでした。

「そう思えた」と言ったほうが正しいかもしれません。




そうでした。やりたかったのはこういうことでした。
これが武井のやる気の源でした。





何も飾らなくても、事実がそれだけで真実だったことに感動したんです。






 だから、「そういう」ドキュメンタリーをつくります。
1年かけて、みんなで「そういう」部分を無理なく伝えていきたいと思います。

みんなで考えて、みんなのドキュメンタリーとして頑張ります。
だから、期待しています。マジで。








15日にはカンボジア組と合流です。

武重青と言えば、シェムリアップに入ってから後先考えずに豪遊したせいで、今日の夕飯はカップ麺、明日の朝食はコンビニで買ったパンにツナ缶をはさんで食べます。

でも、楽しいですw。






あ、自分自身も「そういう」人になりたいなー、となんとなく思ってます。



では!

2010年9月12日日曜日

第9話 幸せ

こんばんわ。
昨日は更新できなくてごめんなさい!


どうも、僕です。監督の武井です。



まずはここまでの近況をすこしお知らせします。


実は、僕らが今いる場所は、シェムリアップのとあるG.Hです。





本来、撮影は12日までを予定していたのですが・・・

昨日バッタンバンで、カムリエン群の周辺の地雷除去作業を統制する"Demining Unite 2" の責任者会議が行われ、その会議に恐縮にもお邪魔させていただけたことと、重田&青山撮影クルーの切実な努力のおかげで、想像以上に撮影が順調に進んだこともあり、予定より早くタサエンを離れることになったというわけです。


もちろん重田は本気で悲しんでいました。
そして、バッタンバンから彼女に電話もしてましたw。





・・・・・ということで、第一回のタサエンロケは無事にクランクアップを迎えました。




ひとまず、ここまで応援ありがとうございました。

みんなの応援は撮影クルー一同、本当に励みにしていました。


そして、カメラマンの重田、助監督の青山には本当に最後まで助けられました。


みんな、本当にありがとう。

マジで感謝しています。

撮影クルーはさっき、日本料理レストランの銀河で打ち上げてきましたw



といってもまあ、最初の山を越えたくらいに考えて、ここから先もみんなで頑張っていきましょう。期待しています。







さて、近況報告はこのくらいにして、




ツイッターでも少し書いたのですが、タサエンの撮影にて地雷被害者の方にお話を伺う機会がありました。


その方は内戦時、政府軍(ベトナム軍連合)との戦闘中にジャングルで地雷を踏み、右足のヒザ上15㎝の切断を余儀なくされました。





彼は、当時の状況をこう語っています。

「ジャングルでの戦闘だった。右足で地雷を踏んだが薬も少ない。助けも来ない。雨にも打たれた。友達2人に担がれて病院に辿り着いたが、それまでに2日もかかってしまった。」


「自分は死ぬと思った。病院に辿り着くのが遅かったために吹き飛ばされた足首だけでなく、ヒザ上から切り落とさなくてはならなかった。」


 


”死ぬと思った。”
この言葉を聞いたときに、今までにないほどリアルな死というものを突きつけられたような、そんな感覚に襲われました。その場には何かドロッとした沈黙が10秒以上続きました。





 
そのあと「この話を娘さんに話したことは?」そう聞いてみました。


すると、



「ない。」


「内戦の話をしたことは?」


「ない。」


「何故話さないのですか?」


「彼女はいま、幸せな時代に幸せな人生を送っている。だから幸せだけ知って生きればいい。内戦の苦しさや、自分の苦しみや悲しみを知る必要はない。知って欲しくない。」

そう答えました。





日本では「戦争を知らないこと」自体が悪であるかのように、戦争教育なるものが一般的に行われています。



でも、彼はあえて、語ろうとしません。



何故でしょうか?

辛すぎた過去を思い出したくないから?
娘に気負って欲しくないから?
まだ気持ちの整理がついていないから?



僕は、「娘に幸せになって欲しいから」だと思います。





きっと、戦争が起きる原因は「戦争を知らない」なんて簡単な問題ではありません。
きっと、幸せは戦争の対義語にはなり得ません。



きっと、多くの悲しく切ない出来事がたくさん積み重なった集合体こそが”戦争”だと思います。


そう考えれば「戦争を知ること」は、その悲しい出来事の1つと言うこともできるのではないでしょうか。





僕らは、「戦争」を知ると同時に「幸せ」とは何か?


この疑問に真剣に向き合う必要があるのかもしれません。

2010年9月9日木曜日

第8話 解放

こんにちは。今日はベジータがお送りします。



撮影は快調に進み、少しずつフリーな時間も増えました。
最初は「こんなとこ3日もいられねえ。ふざけんな。」
と思ったものですが、今ではクソミソにエンジョイしています。


ハンモックに揺られる。


村民が穫ってきたグレープフルーツやマンゴーを一心不乱に食らう。


タバコをばかばか吸う。


ヘビを食う。コオロギを食う。


井戸で行水して、ビールを飲む。


現地のかわいいJKといちゃつく。
サッポアスって女の子がほんとにかわいいです。結婚したいです。
今まで出会った女の子の中で一番タイプです。
向こうもまんざらではないと僕は踏んでいます。




友達がたくさんできてとても楽しいです。


ここで一生暮らしてもいいかなと本気で思ったりもします。




小食だったベジータも今では元自衛隊の職員お二人にもドン引きされるくらいメシを食うフードファイターに成長しました。

そしてリアル現地人並の黒い肌を手に入れました。




これ心身の健康の証だと思います。




撮影の方はといいますと、もう撮れ高okといった感じです。


あとはどう編集するか。



この濃ゆいインタビュー映像たちを生かすも殺すも僕のセンス。


公開までじっくりと練り上げていきたいと思います。





 ちなみにここまで全員健康でやってきましたが今日ついに武井くんがちょっと体調を崩しました。



原因は十中八九筋トレのしすぎと僕は踏んでいます。






あー毎日楽しい。

ここで暮らすと自分のアニマルな部分がむき出しになって
 「生きてる」っていう実感が津波のように押し寄せてきます。

村民同士のコミュニケーションもとても暖かいものを感じます。
自分ちのお隣さんの名前もわからない僕にとってここの村の暖かさはうらやましい限りです。




日本がいかに不健全な国であるか。
日本人たる自分がいかに不健康な人間であるか。

毎日痛感させられています。






と大量のカメムシに囲まれながらベジータがお送りしました。


いえーい

2010年9月8日水曜日

第7話 それでいいのか

どうも。タサエンよりこんばんわ^^

監督の武井です。




タサエンでの生活も4日目を終えようとしています。


村にもかなり馴染んできましたよ。

車に乗れば、学校の子どもや売店のおばちゃん、ポリスやガードのおっちゃんとも笑顔で挨拶をかわしています。




出発まえに、「ウルルンみたいになんじゃね?」とか言ってたんですが・・・

実際、なってます。

たぶん出発の朝はウルルンします。w

特にハウスキーパーのワンちゃんと、通訳のワンナとは仲良しになりました。
いまも一緒に食器を片付けております。







さて、本題の撮影のほうですが、


想像以上の「濃さ」に正直なところ困惑しているところです。




その「濃さ」には、まだしっかりとした言葉を当てはめられていないのですが、

言い換えるとすれば、

「人生の密度」「経験の厚み」「希望の輝き」とでも言えるかもしれません。




過去の惨劇、掲げていた正義、今も変わらぬ正義、生きるための選択、大きな喪失、明日への変化、育ちつつある芽。


思い出すトピックだけで山ほどあります。
インタビューをしていて、頭がいっぱいになってしまうことも多くあります。



 この欠片を1つに結びつけるために、明日以降の撮影をもう一度基本に忠実に、しっかりと重ねていかなければならないと思っています。










でも、正直なところ、いわゆる「オチ」にすべき内容は見えつつあります。



その「オチ」は確かに、いままでのピースを1つに結びつける可能性を秘めています。

今のままでも、十分ドキュメンタリーとして通用するとも思います。




実際、僕はそのお話を聞いたときには、心のどこかでホッとしていました。

勝手に、自分に、クランクアップの花束を送ろうとしていました。




でも、「それでいいのか」。

そう問いかける自分がいたことも確かです。



まだ、足りないピースがどこかにあると思っています。


そのピースを探すために、明日も地雷原へと繰り出します。


それでは、日本からも応援よろしくおねがいします。






あ、カンボジア組には会えるのを楽しみにしています。

そうそう。
オレの誕生日が13日だからって、ホントにアレだよ。

うん、実際のところ荷物もアレだろうし、忙しさもアレだろうし、初めてのスタツアの人もアレだろうし。だから、本当にアレだし。あと5日だなーとかホントに思ってないよ。



去年の誕生日もタイの空港の冷たいベンチの上で簱智に適当なお祝いをされたなんて気の毒だなーとかも、全然思わなくていいからね。

ね?

2010年9月7日火曜日

第6話 いくつかの正義

お久しぶりです。

こんばんわ、ついに監督らしい仕事を始めた武井です。

タサエンのJMAS宿舎より更新しています。



さて、
前回のバッタンバンの最終更新からのお話をすこし。






まず、そうだ。


携帯買いました。カンボジアの国内専用の携帯買いました。
お手数ですが登録をお願いします!w



うん。
カンボジアに3度も行くと、携帯も買うんですね。

NOKIAのヤツです。昔、マサさんが持っていて憧れていたアレです。




 なんだかんだで、
タサエンでの生活も2日を終えました。
抵抗のあった水浴びも一日の楽しみになりました。



肝心のインタビューも、着実に一歩一歩進めています。

正直、思っていた以上の手応えがあります。
期待していてください。





インタビューのなかで、反省したことが1つありました。





僕は、クメールルージュに何か曖昧であやふやなマイナスイメージを持っていました。

僕は、ポルポト軍vs政府軍という構図の中で、「内戦」という枠組みを理解できていませんでした。

僕は、カンボジア内戦の現実を舐めていました。



僕は、内戦を、戦争を、カンボジアを、人を、

「正義」をわかったつもりでいました。





でも、全くわかっていませんでした。
本当に反省しています。

何も知らずに村の人に話を聞いてしまったことを、本当に後悔しています。
「ごめんなさい」と言いたいです。







「正義」は1つではない。

これが、タサエンに来て、一番最初に気づいた事実です。



カンボジア内戦に限定して言えば、

ポルポト軍はロンノル政府の汚職を打破するために、格差を無くすために戦いました。
彼らは、強い正義を胸に戦いました。
彼らは理想を持っていました。


政府軍はポルポト時代を二度と繰り返さないために、自由のために戦いました。
彼らも、強い正義を胸に戦いました。
彼らは理想を持っていました。

 どちらも「正義」を掲げて戦ったことに変わりありません。






僕は、ここに来る前に

「敵同士だった兵士が同じチームで笑いながら働いている」

という事実に衝撃を受けた、という話をしたことがあると思います。




この疑問にはしっかりと答えを出すことができました。



彼らは今も、「正義」を胸に戦っているということ、それだけです。



内戦中は、カンボジアを守りたいという目的は一緒でも、手段がずれてしまうために、

掲げる「正義」も食い違ってしまっていたのではないでしょうか。





でも、今は違います。

彼らはみな1つの正義を掲げて、地雷除去という大仕事に挑んでいます。

カンボジアから地雷をなくすという目的のために、同じ正義のもとに集まり活動しています。





僕はデマイナーに、

「内戦当時敵だったヤツと同じチームで働くことに違和感はないのか?」


こう聞いてみました。






すると、デマイナーは、

「彼らも我々も、内戦当時はカンボジアを守るために戦ったことは同じだ。だから、今もカンボジアのために戦っている。何も変わらない。」


こう言われました。






なるほど。
全て、納得させてくれる一言でした。




いま、たくさんの疑問が新たなに生まれつつあります。




それらの疑問を解決するために、明日以降の撮影も三人で力を合わせて頑張ります。




日本からも応援よろしくお願いします。
本当に嬉しいのでw



では!

2010年9月5日日曜日

第5話 メシを食おう

こんばんは、ついに回って来てしまいました。青山です。



今日は移動日。首都はプノンペンからバスで6時間、バッタンバンまで来ております。

早速測量してみた結果カンボジアで2番目に大きな町でした。







バッタンバン


大好き。



街の雰囲気大好きです。プノンペンのように騒がし過ぎず、かといって大人し過ぎず。



そんな町の雰囲気に導かれ、僕らが向ったのは ''Gecko Cafe'' 。カンボジアに来て食い気ばかり増えていきます。


''Gecko Cafe'' は欧米人が集まるなかなかオシャレなレストラン。

店のロゴにヤモリが使われていましたが

期待を裏切られること無くたくさんのヤモリさん達と一緒にお食事できました。



店員の女の子が僕らと話す時やたらと笑っていましたが、ここのハンバーガーは絶品!

是非皆様バッタンバンにいらしたときは ''Gecko Cafe'' へ。




その後、いつものように体をいじめた後、お酒を飲みにホテル屋上のレストランへ。


ここでも底なしの食欲が顔をのぞかす。おかず1皿に対し、ちょっとしたミスも重なりご飯3皿という献立に。


鬼畜な夜食を平らげたドMな3人組は、夜風に吹かれながらたわいもない話を肴に酒を酌み交わす。



明日はタサエンに移動。

そして本格的にドキュメンタリー撮影が始まります。

かなり過酷な撮影となることが予想されますが、、、



駆け抜けるぞ!



全力で!



 中島みゆきの ''地上の星'' を子守唄に男3人は眠りに落ちる。。。

2010年9月4日土曜日

第4話 ご記憶下さいます様に

9月4日土曜日。おはようございます!

監督の武井です。




昨日はカンボジア内戦時代の傷跡を垣間みることができる、

”トゥールスレン” ”キリングフィールド”

を訪れました。



キリングフィールドは、プノンペンの南西12kmのチュンク村にあります。
ポルポト政権時代、トゥールスレン刑務所に収容された人々はここに運ばれて処刑されました。


高々とそびえる慰霊棟には死者たちの頭蓋骨がきっちりと納められていました。





そこで献花を売るおじさんに話を聞いたところ、
棟には8985人の死者が眠るそうです。






彼らの声を今になって聞くことは難しいです。





日本に帰国したら、カンボジアという国についてもっと深く知ろうと思っています。

歴史もそうですが、文化的な背景や伝統など、カンボジアという国にもう少し近づいてみようと思っています。


それが、カンボジア内戦という黒い歴史に、全く無関係の国の僕らがフォーカスを当てる上での最低限の敬意かなと考えています。


そうやってカンボジアに近づいて、これまでの経験と重ね合わせて、考えて、考えて、

初めて、

慰霊棟に眠る彼らの声が少しでも聞こえるのかな、

と思っています。



それでは、タサエンに向けて出発します。



ブログはこれからもガンガン更新しますよー。


応援よろしく。

では!